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ヒロオカ監督

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月17日(土)00時41分54秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>広岡氏は選手としてもコーチとしても監督としても評価されていますね。

 選手時代は知らないのですが、監督としては就任した所で日本一を成し遂げているため、
文句なく名監督と言えると思います。
いわゆる管理野球として当時の評判はあまり良くなかったそうですが、終わってみれば正しかったと
いうことでしょうね。

 実際の本人の私生活では気さくだったという証言もありますが、
がんばれ!タブチくん!でのヒロオカ監督は、特にアニメ版は一切笑わず陰湿な性格の人として出ています。
丑の刻参りをしたり、自分の家でご乱心してバットをもって暴れたりと、声優の羽佐間さんの独特の喋りも相まって
かなりインパクトのある登場人物でした。
(当時、パ・リーグには全く興味がなく、このアニメで西武の広岡監督を知った)
名監督であるがゆえに、いい評価をする人・貶す人がはっきり分かれる監督でもありましたね。
 
 

広岡氏について

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月15日(木)12時55分8秒
返信・引用
  こんにちは。
広岡氏は選手としてもコーチとしても監督としても評価されていますね。
守備の評価が高かったため身体能力があったと思いますし、それ以上に頭が良かった
のだと思います。
 

ジェネラル・マネージャー

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月14日(水)23時44分39秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>元選手でもあり元監督でもあり経営陣でもあった方ですね

 根本さんはGM向けだったのでしょうね。
選手としてはさほど活躍せず、監督としても結果を残せず、フロントとしては就任した球団で
最高の結果を残していますからね。

>元有名選手などが経営陣に入る場合お飾り的な面がありますが

 大半はそうと言えますが、例外として広岡さんはロッテのGMに就任してた時は結構仕事してましたね。
バレンタイン監督が苦言してたように、広岡さんは結構現場に口だしてました(選手のコーチしたりとか)けど。
バレンタイン監督はこの時は1年でロッテ監督を辞めましたが、日本の野球の監督は権限が大きいのに味をしめたのか
2期の頃は選手を独自に調査して獲得しようとしたりとかしてますね。
 

根本氏について

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月13日(火)23時13分30秒
返信・引用
  根本氏って元選手でもあり元監督でもあり経営陣でもあった方ですね。元有名選手などが経営陣に入る場合お飾り的な面がありますが根本氏の場合、優秀な経営手腕を発揮した方だと思います。  

久しぶりに

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月12日(月)23時09分41秒
返信・引用 編集済
  スゲー久しぶりにサイトを更新しました。
MP3008です(*´ω`*)
http://sweeper.a.la9.jp/gun/smg/mp3008.htm
どうぞご覧になってください
 

アドバルーン

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月12日(月)23時08分39秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>ブレイザー監督は悪くはありませんでしたが交換した選手がいまいちでした

 真弓選手は長らく活躍したので当たりではなかったかと思います。
阪神ファンの中には彼が阪神生え抜きと信じてる人も結構いますし。

>源五郎丸という無名投手を獲得し結果が出ていませんし

 阪神の場合は名前が珍しいから獲ってるんじゃないかってのをよく見かけます。
掛布姓ってほぼ見かけないような・・・。

>阪神百貨店

 いしいひさいちさんの漫画、がんばれ!タブチくんでタブチ選手を阪神百貨店のアドバルーンとバカにする観客がおり
タブチ選手がブチ切れするシーンを思い出しました(´ω`)
映画版では初めっから西武の選手なので西武デパートに変更されていましたが、セリフが
「家どこだ!火つけるぞ!」とさらに過激なセリフとなっています。今じゃアウトでしょうね(´ω`)

>西武グループみたいにやり過ぎはよくありません

 西武グループというか根本さんの手腕の面が大きかったかと思います。
田淵選手獲得の画策をしたのは根本さんという話もあります。
 

訂正

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月10日(土)23時33分24秒
返信・引用
  阪神百貨店の間違いです。すみません。  

日本のプロ野球

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月10日(土)23時30分26秒
返信・引用
  日本のプロ野球で試合が終盤になり一点を争うゲームでランナー一塁でツーアウト以外ならほとんどの場合が送りバントです。一塁手、三塁手が異常なほど前進してくるのでバント失敗もあります。大リーグではそんな場合、送りバントやヒットエンドランなど多彩な攻撃をします。大リーグのほうが合理的だと思います。戦争など人の生命が関わる時、合理主義はどうかな?と前に述べましたがゲームなのですから合理的にしたほうが良いと思います。
ブレイザー監督は悪くはありませんでしたが交換した選手がいまいちでした。真弓選手はその後活躍しましたが若菜捕手は肩は強いが落球が多く、竹之内選手は一塁手と代打でほんのすこし活躍しただけでした。主砲とエースを放出したのに大損でしたね。
阪神は外国人選手獲得の目利きは優れていると思います。無名だったフィルダー選手を獲得しその後大リーグで活躍しましたし結果を出している外人は他球団より多い気がします。
しかしドラフトの目利きはいまいちです。源五郎丸という無名投手を獲得し結果が出ていませんしドラフトでは他球団より劣っていると感じます。当時のオーナーも費用対効果では優れていますがセ・リーグでは東の巨人、西の阪神となれたはずなのにお金をけちりすぎて結果を出していません。関西の私鉄では当時球団を持っていた近鉄、阪急、南海には見劣りしますが阪急百貨店もあるためダイナミックな投資をしたほうが成功したのかな?と思います。かといって西武グループみたいにやり過ぎはよくありません。何事もほどほどが良いと思います。
 

セイバーメトリクス

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 8日(木)21時49分59秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>打率三割30本塁打のほうが塁打数が多いと推測されるため合理的なんでしょうけど

 たしかに塁打で考えると3割30本がいいみたいですね。
4割打者はメジャーリーグでは存在しますが、戦前を入れても日本ではいないですね。
(独立リーグだといますが)

>私だったら盗塁数や守備力など総合的に評価したいです。

 実際のところはそうなるんでしょうし、球団の編成部もそういう人選するんでしょうね。
映画にもなった書籍「マネー・ボール」でビリービーンGMが重要視した能力、重要視しなかった能力を比較すると、
出塁率・選球眼は重要ということで、特に選球眼は鍛えてもその人のセンス以上に能力は上がらないとか。
逆に、バントや盗塁はやったところで得点する確率が上がるわけではないと消極的だったそうです。
選球眼でいえば、メジャーリーグではよほど選球眼がいいのか、20世紀には1シーズン三振数で200を超える例はなかったのですが、
(ブライアントが204三振をしたときは、メジャーでもいない大記録と揶揄されてました)
21世紀になって、2000年代の後半あたりから1シーズン200三振以上するメジャーリーガーが
ゴロゴロ出てきました。なにか打者に対する変化があったのでしょうか。
バントの場合、日本だと時代を追うごとに頻度が上がってますが、メジャーリーグでは下がってますね。
盗塁に関していえば両リーグともさほど変化はないようですが、投手・捕手の連携がうまくなったのか
最近は盗塁企図自体の数字が落ちてきていますね。

>日本に考える野球、走る野球を持ち込んだのはブレイザー氏だと言われています

 ノムさんはシンキングベースボールに関してブレイザーさんに感謝してると書籍で書かれてますね。
ドン・ブレイザー監督といえば、阪神時代にファン(と思われる人)からカミソリ入りの封筒を送られて
奥さんから「こんな野蛮な国はイヤ」と監督をやめて帰国していますが
(他にも理由はあったのでしょうが)
当時大型新人の岡田選手を一軍の試合に出さなかったり、当時阪神ファンから絶大な人気があった田淵選手を放出したりと
勝つ目的での監督の行動としてはいいのかもしれませんが、他からみると首をかしげる行動してたのかもしれないですね。
だからといってカミソリ送るのは論外ですが。

>王選手は甲子園球場であまり打ってなかったのですね。

 今でもそうでしょうけど、伝統の阪神巨人戦だと阪神の選手も意気高揚となるのかもしれないですね。
実際に見たわけではありませんが、王・江夏、長島・村山の対決は語り草だったそうですね。
甲子園球場でホームランといえば田淵選手でしょうか。YouTubeでみると、田淵選手のホームランは
9割以上の確率で、3塁回ったあたりからファンのオッサンが一緒に走るというのが出てきます。
当時は問題なかったのでしょうか。
ただ、映像を見る限り、田淵選手がホームインしたらそそくさと帰っていくので、それなりの暗黙の了解があったのでしょうか。
それだけ阪神ファンに愛された選手だったのでしょうね。
 

球場別ホームラン数

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 7日(水)14時05分6秒
返信・引用
  こんにちは。打率三割30本塁打のほうが塁打数が多いと推測されるため合理的なんでしょうけど三割30本塁打だったら今までに達成した打者がそこそこいるため前人未踏の四割打者だったら客寄せパンダ的に使えるでしょうね。
私だったら盗塁数や守備力など総合的に評価したいです。
やはり王選手は甲子園球場であまり打ってなかったのですね。私はセ・リーグでは阪神ファンです。阪神戦では王選手はフライが多い印象がありここ一発試合を決めるような一打を決める長嶋選手のほうが怖かったです。
昔の日本のプロ野球は足が遅く守備が下手でも長打力さえあれば重宝されました。日本に考える野球、走る野球を持ち込んだのはブレイザー氏だと言われています。ブレイザーイズムを継承したのは野村克也氏です。今は当たり前の考え方ですが昔は本当に長打力のある選手の緩慢プレーが目立ちました。
 

王シフト

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 7日(水)00時36分41秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>選手は凄い選手でフライ、引っ張り専門、一本足打法で首位打者もとっています。

 引っ張り専門として有名なのは、いわゆる「王シフト」ですね。
広島カープ(当時)の白石監督(当時)がやりだしたそうで、当時としては画期的だったのでしょうね。
王さんも、後のインタビューで
「・・・だったらその間を抜ける球を打ってやる。それがだめならさく越えしてやる」
と闘志を燃やしたと語っています。
この年(昭和39年)は本塁打55本放っていて、長らく破られなかった日本記録を樹立していますが、
この王シフトでの闘志を燃やしたからだと言われていますね。
実際にはこの年は広島から放った本塁打が一番少なく
(国鉄17、大洋13、中日9、阪神9、広島7)
打率も記録では.320でしたが、広島だけだと.291だったので王シフトの効果はあったようです。
王さんのフォームだと流し打ちを狙うとバッティングフォームが崩れてしまうということで、
白石監督はそれも狙っていたそうですが、そういう面では狙いが外れたことにはなりますね。

>非力な王選手が引っ張りの遠心力と大飛球でギリギリ狭い後楽園球場に入れていました。

王さんのホームランの球場別をみますと
(後楽園413、広島市民(初代)102、ナゴヤ100、川崎77、甲子園66、神宮65、他地方球場45)
と後楽園球場での試合が半分ちょっとで(国鉄スワローズは昭和38年まで後楽園球場が本拠地だった)、
半分以下のホームランということを考えると、とりたてて狭かったというわけでもないようですね。
ちなみに、ビジター球場では総試合数の10分の1行いますが、平均(総ホームラン数868の10分の1)以上の
広島市民とナゴヤは王さんにとっては打ちやすかった球場だったのでしょうか。

>王選手でも史上初の打率四割を目指せたかもしれません

 南海ホークスの門田さんは「ホームラン打たなくていいなら打率4割以上打てる」と話したそうです。
門田さんは打率も残しているため決して大振りだけで打ってたわけではないのでしょうが、
実際のところ、打率.400 本0の選手と、打率.300 本30の選手ってどっちが使えるのでしょうかね。
 

ミートの天才

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 6日(火)14時36分35秒
返信・引用
  こんにちは。王選手は凄い選手でフライ、引っ張り専門、一本足打法で首位打者もとっています。一本足打法は監督、コーチに言われタイミングをとるために最初は一時的にはじめたものでした。それを本人が気に入ってずっと続けていました。一本足打法とはタイミングをとるためで反動をつけ体重を乗せるのは副次的効果です。しかし王選手の振り方を見ていると反動をつけ遠くに飛ばすことをメインにしているとしか思えません。非力な王選手が自分の体重をボールに瞬間的に乗せているように思えます。非力な王選手が引っ張りの遠心力と大飛球でギリギリ狭い後楽園球場に入れていました。かなり無理をして後楽園球場に特化したホームランバッターになっていると感じました。一本足打法は体がぶれるため遠くに飛ばすのは有利でもミートするのは不利だと思います。大飛球よりライナーのほうが打率を残しやすいと思います。引っ張り専門より広角打法のほうが打率を残せます。二本足打法、広角打法、ライナーに改善していれば足が遅い王選手でも史上初の打率四割を目指せたかもしれません。あんな不利な打法で首位打者をとっているのですからミートの天才だと思います。  

左利き

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 6日(火)00時44分14秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>大阪球場は狭い球場で野村選手や門田選手がホームランをたくさん打てた一因だと思います

 大阪球場でしたね。南海ホークスの球場だったから南海球場だと思ってました(´ω`)
当時はどこも両翼90mほどで狭かったようですね。
今は影も形もありませんが、東京球場は狭すぎるということで、ロッテに買い取りを拒否されたそうです。

>王選手はピッチャーだったため肩は強いのですが足が遅いため外野手では使えず

 そういえば、王さんは一塁オンリーですね。
基本的に左利きの選手は一塁以外は外野しか守備できませんが、足が遅い(イメージがある)選手はそこそこ見かけるような気がします。
V9時代に限って言えば、柴田選手や高田選手らの鉄壁外野陣がいたので王さんの入り込む余地はなかったのでしょうけど。
もっとも、当時日本最高の打者だったので一塁を脅かされるということがなかったのが
最大の要因なんでしょうね。

>足が速く打球も速かった中西太選手は大リーガーも高く評価していました。

 昭和30年前後にメジャーリーガーからの評判は高かったそうですね。
中西さんといえば、打球の速さでいろいろな伝説がありまして、
打球がショートに飛んで、ショートがジャンプしたけどわずかに届かなかったにもかかわらず外野の柵超えしたとか、
投手の肩の少し上を飛んだ打球がそのままホームランになったとか、
いろいろと伝説がありますね。飛ばないボールの時代の飛距離163mの特大ホームランはすごいなと思います。
 

球場

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 4日(日)14時32分21秒
返信・引用
  徳川家康という人は慎重に物事を進める人だったと思います。
大阪球場は狭い球場で野村選手や門田選手がホームランをたくさん打てた一因だと思います。後楽園球場も狭い球場で王選手のホームランはギリギリで入るため大リーガーは犠牲フライの職人として王選手を大リーグで使いたいと思った人もいたようです。王選手はピッチャーだったため肩は強いのですが足が遅いため外野手では使えず内野も一塁手しかできないため強打者揃いの大リーグ一塁手では使えないと判断されたそうです。足が速く打球も速かった中西太選手は大リーガーも高く評価していました。
 

南海球場

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 3日(土)10時20分23秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>大阪にいらした際に堀のつく地名に注意すればまた違った観光の楽しみ方ができると思います

 大阪は何度かいきました。難波・大正・日本橋周辺だけですけど(・ω・)
なんばパークスにある旧南海球場のホームプレートはなんか気持ちが高ぶりました。
というか、ここに球場があったなんて思えないほど、今は景観がかわってますね

>会津若松城の戦いで降参した一因に排泄物問題があったそうです

 検索してみたのですが、テレビで取り上げられて地元が抗議した事件があったようですね。
し尿処理は1か月程度の籠城ならさほど問題にはならないとは思うのですが。
中世ヨーロッパのように1年以上籠城とかならわかるのですが。
ヨーロッパの籠城戦で城壁を登る敵兵に糞尿を浴びせたと記録にありますが、し尿処理という一面もあったのでしょうかね。
話はもどして、若松城攻防戦で降伏した一番の理由は仙台藩が降伏したことでしょうね。
奥羽列藩同盟の盟主が両手あげたのなら、会津藩も徹底抗戦する意味もないでしょうから。

>豊臣家が存続するには徳川家康のお株を奪うような水面下の根回しで味方を増やすしかなかったでしょうね

 家康が征夷大将軍になって一回り(12年)で豊臣家を滅亡させていますけど、そんなに長い時間がかかっているということは
本当は豊臣家を滅ぼす考えはなかったということなんでしょうかね。
逆に言えば、豊臣家を滅ぼすお膳立てを12年かけて構築したともいえるのかもしれませんが。
結果論ですが、家康は豊臣家滅亡の翌年に死んでいますから、豊臣家が籠城で持ちこたえて、
秀忠時代になればあるいは生き残れたか返り咲いたのかなとも思えなくありません。
 

会津若松城排泄物問題

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 2日(金)12時24分48秒
返信・引用
  今、会津若松城排泄物問題と検索すれば地元が猛抗議したそうです。根も葉も無い都市伝説を投稿し、すみません。忘れてください。  

人間の摂理と豊臣家の存亡

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 2日(金)12時17分3秒
返信・引用
  こんにちは。大阪にいらした際に堀のつく地名に注意すればまた違った観光の楽しみ方ができると思います。
会津若松城の戦いで降参した一因に排泄物問題があったそうです。自分達の恥になるようなことは隠していますが本当は排泄物問題が主因ではないかと後世の研究家が指摘しているそうです。
大阪城の攻撃は二回で終わりましたが持ちこたえたとしても3回目4回目の攻撃があったと想像できます。豊臣家が存続するには徳川家康のお株を奪うような水面下の根回しで味方を増やすしかなかったでしょうね。
 

決戦

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 1日(木)01時43分16秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>大阪城といっても今でも堀のつく地名がかなりあるように大阪全体で守られていました

 小田原城なみに惣構がありましたね。

>守る側も異常なまでの過剰な兵数でした。

 あの広さで10万人籠城というのはし尿処理が大変だったような気がします。
食料に関して言えば当時から大坂に諸大名の蔵米があったため、接収するだけで相当量
(福島正則の広島藩だけでも3万石)徴発できたので問題はなさそうでしたが。
冬の陣は守備に徹していますが、夏の陣だと堺・紀州方面に出撃していますね。
堀がなくて籠城では勝てないという判断と食料の問題もあったのでしょうか。


>真田幸村は過剰な兵数を野戦に回し陸路の補給を妨害する提案をしていました。

 家康は戦略的に大坂城を包囲していたため
(東海道と大坂城周辺を譜代大名で固めて包囲&補給線を確保していた)
出撃しても成功するかは?と判断したのでしょうかね。
大坂戦役の冬で野戦に決した場合でも豊臣家の負けだったとは思うのですが、
関ケ原以上の大決戦となったのは確実で、どこでどういう戦いになってたのでしょうか。
 

大阪城攻め

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月27日(土)15時08分22秒
返信・引用
  こんにちは。私の使っているアンドロイドでは別途資料は見れませんでした。
大阪城といっても今でも堀のつく地名がかなりあるように大阪全体で守られていました。北は淀川がありますし。徳川方の兵数も多いでしたが守る側も異常なまでの過剰な兵数でした。その兵数を有効利用するため大阪湾に入ってくる物資を叩けばよかったのですが作戦を決める人材の才能がなかったのでしょうね。兵糧がなければ和睦を提案する前に撤退していたでしょう。戦国時代優秀な策士が多かった中でも特に優秀な軍事の天才を父に持つ真田幸村の案をもっと採用していれば撤退していた可能性があります。父親があまりにも凄かったため子供は未知数だと思われていたのでしょうね。真田幸村は過剰な兵数を野戦に回し陸路の補給を妨害する提案をしていました。まあ多少は聞き入れられ小規模での戦いはしたようですが。
 

籠城

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月27日(土)12時34分44秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>兵糧攻めにあえば悲惨ですよね

籠城は後詰(援軍)がくるのが前提で行われますから、何か月かもてばいいという感じだったと思います。
時代が進むと戦争の規模も兵士数も大規模になったため、後詰がこなくても攻城側の兵站の消耗を
待つという手段で籠城が行われたようですね。
小田原征伐の豊臣軍、大坂戦役の徳川軍は共に20万人ほど動員したそうですが、
仮に兵士1人の消耗食料が1kgとしたら1日に200tの補給物資が必要です。
戦国時代には大八車などの車はなかったそうですので、
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/4740/1/02%20%20%E9%88%B4%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%B8%89%E3%80%80%E5%B7%BB%E4%B9%8B%E5%85%AD.pdf
の35ページの一番左参照
馬なり人に背負わせて運ぶ必要がありますが、馬だと100kg、人間だと30kg程度が背負える限度でしょうから
馬だけでも1日2000頭到着させないといけないという計算ですね。移動中の馬は含まれませんし、
馬自体も食料(水は当時は供給源は各地に大量にあったので除外)がいるので、相当な規模での
兵站線を確保しないといけなかったのは想像に難くありません。
対峙した北条家も豊臣家もそんな兵站を確保できるわけがないと思ってたのかもしれないですね。

>熊本城は食べれるそうですね

 という伝承がありますが、実際はどうだったのでしょうか。西南戦争時に熊本鎮台の兵士が
加藤清正時代からあった「ひじき」を食したという記録はあります。
畳は芋茎で編まれて、土壁にはかんぴょうが塗り込まれていたとされていますが、実際にはどうだったのでしょうか。
かんぴょうはともかく、芋茎の畳は梅雨時の湿気で腐ってしまいそうな気がするのですが・・・。
実際に役立ったのは井戸の多さで、天守閣にも井戸があります。これは清正が蔚山城で水不足に
悩まされた戦訓から熊本城内に120もの井戸を掘ったそうです。
食べ物は1日なしでも我慢できても水はそうはいかないため籠城する側としてはありがたい点かと思います。

>昔の大阪城は昔ながらの内部だったのですが今は博物館のようになっています。

 熊本城もそんな感じです。
ただし、宇土櫓だけは建造時のまま残っているため中身も昔のままです。
 

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