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南海球場

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 3日(土)10時20分23秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>大阪にいらした際に堀のつく地名に注意すればまた違った観光の楽しみ方ができると思います

 大阪は何度かいきました。難波・大正・日本橋周辺だけですけど(・ω・)
なんばパークスにある旧南海球場のホームプレートはなんか気持ちが高ぶりました。
というか、ここに球場があったなんて思えないほど、今は景観がかわってますね

>会津若松城の戦いで降参した一因に排泄物問題があったそうです

 検索してみたのですが、テレビで取り上げられて地元が抗議した事件があったようですね。
し尿処理は1か月程度の籠城ならさほど問題にはならないとは思うのですが。
中世ヨーロッパのように1年以上籠城とかならわかるのですが。
ヨーロッパの籠城戦で城壁を登る敵兵に糞尿を浴びせたと記録にありますが、し尿処理という一面もあったのでしょうかね。
話はもどして、若松城攻防戦で降伏した一番の理由は仙台藩が降伏したことでしょうね。
奥羽列藩同盟の盟主が両手あげたのなら、会津藩も徹底抗戦する意味もないでしょうから。

>豊臣家が存続するには徳川家康のお株を奪うような水面下の根回しで味方を増やすしかなかったでしょうね

 家康が征夷大将軍になって一回り(12年)で豊臣家を滅亡させていますけど、そんなに長い時間がかかっているということは
本当は豊臣家を滅ぼす考えはなかったということなんでしょうかね。
逆に言えば、豊臣家を滅ぼすお膳立てを12年かけて構築したともいえるのかもしれませんが。
結果論ですが、家康は豊臣家滅亡の翌年に死んでいますから、豊臣家が籠城で持ちこたえて、
秀忠時代になればあるいは生き残れたか返り咲いたのかなとも思えなくありません。
 
 

会津若松城排泄物問題

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 2日(金)12時24分48秒
返信・引用
  今、会津若松城排泄物問題と検索すれば地元が猛抗議したそうです。根も葉も無い都市伝説を投稿し、すみません。忘れてください。  

人間の摂理と豊臣家の存亡

 投稿者:САША  投稿日:2018年 2月 2日(金)12時17分3秒
返信・引用
  こんにちは。大阪にいらした際に堀のつく地名に注意すればまた違った観光の楽しみ方ができると思います。
会津若松城の戦いで降参した一因に排泄物問題があったそうです。自分達の恥になるようなことは隠していますが本当は排泄物問題が主因ではないかと後世の研究家が指摘しているそうです。
大阪城の攻撃は二回で終わりましたが持ちこたえたとしても3回目4回目の攻撃があったと想像できます。豊臣家が存続するには徳川家康のお株を奪うような水面下の根回しで味方を増やすしかなかったでしょうね。
 

決戦

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 2月 1日(木)01時43分16秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>大阪城といっても今でも堀のつく地名がかなりあるように大阪全体で守られていました

 小田原城なみに惣構がありましたね。

>守る側も異常なまでの過剰な兵数でした。

 あの広さで10万人籠城というのはし尿処理が大変だったような気がします。
食料に関して言えば当時から大坂に諸大名の蔵米があったため、接収するだけで相当量
(福島正則の広島藩だけでも3万石)徴発できたので問題はなさそうでしたが。
冬の陣は守備に徹していますが、夏の陣だと堺・紀州方面に出撃していますね。
堀がなくて籠城では勝てないという判断と食料の問題もあったのでしょうか。


>真田幸村は過剰な兵数を野戦に回し陸路の補給を妨害する提案をしていました。

 家康は戦略的に大坂城を包囲していたため
(東海道と大坂城周辺を譜代大名で固めて包囲&補給線を確保していた)
出撃しても成功するかは?と判断したのでしょうかね。
大坂戦役の冬で野戦に決した場合でも豊臣家の負けだったとは思うのですが、
関ケ原以上の大決戦となったのは確実で、どこでどういう戦いになってたのでしょうか。
 

大阪城攻め

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月27日(土)15時08分22秒
返信・引用
  こんにちは。私の使っているアンドロイドでは別途資料は見れませんでした。
大阪城といっても今でも堀のつく地名がかなりあるように大阪全体で守られていました。北は淀川がありますし。徳川方の兵数も多いでしたが守る側も異常なまでの過剰な兵数でした。その兵数を有効利用するため大阪湾に入ってくる物資を叩けばよかったのですが作戦を決める人材の才能がなかったのでしょうね。兵糧がなければ和睦を提案する前に撤退していたでしょう。戦国時代優秀な策士が多かった中でも特に優秀な軍事の天才を父に持つ真田幸村の案をもっと採用していれば撤退していた可能性があります。父親があまりにも凄かったため子供は未知数だと思われていたのでしょうね。真田幸村は過剰な兵数を野戦に回し陸路の補給を妨害する提案をしていました。まあ多少は聞き入れられ小規模での戦いはしたようですが。
 

籠城

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月27日(土)12時34分44秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>兵糧攻めにあえば悲惨ですよね

籠城は後詰(援軍)がくるのが前提で行われますから、何か月かもてばいいという感じだったと思います。
時代が進むと戦争の規模も兵士数も大規模になったため、後詰がこなくても攻城側の兵站の消耗を
待つという手段で籠城が行われたようですね。
小田原征伐の豊臣軍、大坂戦役の徳川軍は共に20万人ほど動員したそうですが、
仮に兵士1人の消耗食料が1kgとしたら1日に200tの補給物資が必要です。
戦国時代には大八車などの車はなかったそうですので、
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/4740/1/02%20%20%E9%88%B4%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%B8%89%E3%80%80%E5%B7%BB%E4%B9%8B%E5%85%AD.pdf
の35ページの一番左参照
馬なり人に背負わせて運ぶ必要がありますが、馬だと100kg、人間だと30kg程度が背負える限度でしょうから
馬だけでも1日2000頭到着させないといけないという計算ですね。移動中の馬は含まれませんし、
馬自体も食料(水は当時は供給源は各地に大量にあったので除外)がいるので、相当な規模での
兵站線を確保しないといけなかったのは想像に難くありません。
対峙した北条家も豊臣家もそんな兵站を確保できるわけがないと思ってたのかもしれないですね。

>熊本城は食べれるそうですね

 という伝承がありますが、実際はどうだったのでしょうか。西南戦争時に熊本鎮台の兵士が
加藤清正時代からあった「ひじき」を食したという記録はあります。
畳は芋茎で編まれて、土壁にはかんぴょうが塗り込まれていたとされていますが、実際にはどうだったのでしょうか。
かんぴょうはともかく、芋茎の畳は梅雨時の湿気で腐ってしまいそうな気がするのですが・・・。
実際に役立ったのは井戸の多さで、天守閣にも井戸があります。これは清正が蔚山城で水不足に
悩まされた戦訓から熊本城内に120もの井戸を掘ったそうです。
食べ物は1日なしでも我慢できても水はそうはいかないため籠城する側としてはありがたい点かと思います。

>昔の大阪城は昔ながらの内部だったのですが今は博物館のようになっています。

 熊本城もそんな感じです。
ただし、宇土櫓だけは建造時のまま残っているため中身も昔のままです。
 

食べれる城

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月24日(水)21時48分17秒
返信・引用
  こんばんは。
籠城って鳥取城、三木城、鶴が城の例があるように兵糧攻めにあえば悲惨ですよね。
熊本城は食べれるそうですね。名城といわれるだけあっていろいろと工夫されていると思います。
私は大阪城、姫路城しか行ったことがありません。是非熊本城にいつか行ってみたいです。昔の大阪城は昔ながらの内部だったのですが今は博物館のようになっています。
 

リーダーシップ

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月24日(水)20時06分1秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>今川義元はたった一回のミスでかわいそうですね

 それが戦争というものなのかもしれませんね。
似たような人物としては北条氏照がおりますね。
氏照は北条家の他家との取次、広くいえば外交官として活躍しておりますね。佐竹家と対抗するためか、
伊達家・蘆名家との外交や上杉謙信との交渉もしていますね。
本能寺の変では間髪をいれず上野(こうずけ)の滝川一益を攻めてその地を抑えるなど
時流を読んだ判断力もありました。
その成功続きが仇となったのか、秀吉による小田原征伐の際は徹底抗戦を主張してそれが容れられたがために
北条家滅亡の憂き目を見ました。
悲惨だったのは氏照の居城の八王子城の籠城戦で、徹底抗戦派の居城というわけなのか、
この惨劇は筆舌に尽くしがたい光景だったそうです。

>今回の安保は後方支援だけだと言っていますが有事になればいいとこどりばかりせずもっと手伝って欲しいという要請がある可能性があります

 アメリカ軍も量より質の感じで兵員を減らしていますので、人員不足は結構深刻なようで
日本も人員を最前線に立たせろとか言ってくるんでしょうね。そういう憲法の改悪はしてほしくないですが、
日本以上に悲惨な末路を遂げているドイツですが、海外派兵とか意外としていますし、兵器輸出もしてますね。
地べたの国境線の隣が敵という地勢的な問題もあったのでしょうが、ドイツの人は反戦!とか叫ばないのでしょうかね

>将棋でもそうですがラッキーだけで一時的に有利になったり勝ったりしますが

https://www.youtube.com/watch?v=bF9qW0fr7F0&t=124s

端的な例。王様を逃がさないと負け確定なのに逃がさなかった村山六段(当時)、
詰ます手順に気づかず違う手を指した広瀬七段(当時)。広瀬さんの表情からして、
着手して10秒あたりで「悪手」に気づいたと思いますが、最後まで気づかなかった村山さんが
結局勝ってしまってます。30秒という短い手ではなかなか筋を読み切れないのでしょうが、
そういう意味では運も大事なんですかね。

>政治家や官僚、軍人のトップの方々は専門性は凄いと思いますが全体像を把握する能力は未知数だと思います

 政治家だと軍事に疎く、軍人だと政治に疎いのは仕方がないですが、劉邦などのように、
いわゆる将たる将を持ちえた人がでてくればいいんかなと思えます。
B52が空母から発進してると発言した政治家もおりましたし、満州事変直後の熱河作戦など、
政治を全く試みずに軍事行動を起こす軍人もおりますし。
それを調整できる強力なリーダーがいればいいんでしょうね。

>すみません。大東亜戦争と書いてしまいましたが太平洋戦争の間違いです。

 公刊戦史では大東亜戦争なので問題はないです。
しかし私は大東亜戦争という呼称を使いません。
20世紀の頃からネット上では「日中戦争ではなく支那事変、太平洋戦争ではなく大東亜戦争だ」
と主張する人が多いですが、そういう人でも「日露戦争」とか言っちゃうんですよね。例外なく。
公刊戦史などの日本の公式文書ではたしかにその名前なのですが、

日清戦争→明治廿七八年戦役
日露戦争→明治卅七八年戦役
第一次世界大戦→日独戦争

公刊戦史等の公式文書ではこのようになっています。
「明治卅七八年戦役での乃木大将は・・・」
なんて言う人見たことねぇよ(´ω`)y━・~~
そのため、私は太平洋戦争と呼んでおります。
うちのてっぽうの話では、少しですが、文章の規定を設けておりまして、たとえば小銃という言葉はすべてライフルにしています。
(「64式小銃」等の固有名詞は例外)
あとは、いわゆる満州地方は中国東北地方と言い換えております。
(これも「満州事変」などの固有名詞は例外)
 

再び訂正

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月23日(火)23時55分39秒
返信・引用
  太平洋間で起こった対米戦争に訂正します。何回もすみません。  

訂正

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月23日(火)23時48分27秒
返信・引用
  すみません。大東亜戦争と書いてしまいましたが太平洋戦争の間違いです。  

国益

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月23日(火)12時23分5秒
返信・引用
  今川義元はたった一回のミスでかわいそうですね。織田信長はラッキーだったと思います。その運からどんどんのしあがっていき、勝率は決して高くなかったものの日本を一時的に軍事大国にしました。将棋でもそうですがラッキーだけで一時的に有利になったり勝ったりしますがそれでは長続きしません。織田信長は実力があったんでしょうね。
以前におっしゃっていたように日華事変でもターニングポイントありましたし大東亜戦争前と最中にもターニングポイントがありながらミス続きだったと思います。
第一次世界大戦で後方支援は国益にプラスだということを学んだはずです。上手に軟着陸させて第二次世界大戦もいいとこどりしていれば国益になったと思います。世界中からひんしゅくをかうでしょうけど。
今回の安保は後方支援だけだと言っていますが有事になればいいとこどりばかりせずもっと手伝って欲しいという要請がある可能性があります。後方支援を最初からしないと突っぱねても苦しくなればお願いしますと要請がくるかもしれません。その時に安保改正しても遅くないと思います。昔から感じていますが政治家や官僚、軍人のトップの方々は専門性は凄いと思いますが全体像を把握する能力は未知数だと思います。木を見て森を見ずってやつですね。将棋や囲碁でいう大局観です。
 

致命傷

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月22日(月)21時37分29秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>スポーツや勉強など努力や素質が影響する結果とは違う意味でです。

努力しても、素質よくても、特に戦争は1度のミスですべてを失うということにもなりかねませんからね。
太平洋戦争は1度のミスとは言い難く、ミスが積もり積もって真珠湾という引き金を引いてしまった感もあります。
1度のミスが文字通りの致命傷となったのは、今川義元でしょうか。
今川義元は大名家としてはいろいろと大変な経緯をたどっていますが、義元自身は有能で、
外交でも実績ありますし(武田・北条との同盟で敵を一方向に絞り込めた)内政面でも
申し分なかったのですが、桶狭間ですべて台無しになってしまいましたね。
桶狭間は一般には信長の計算しつくされた奇襲というイメージがありますが、実際には狭間といっても
当時は桶狭間山という山で(今は整地されて存在しない)、信長側としても味方が攻められているのに
後詰を出さないわけにはいかないし今川軍を攻めないわけにもいかず、ちょうど目の前の山に
敵がいたから攻めてみたら今川軍本陣だったという感じらしいですね。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がありますが、
これは数少ない当てはまらない例とも思えます。

>今、米景気は空前の好景気です

 アメリカは好景気なのですね。あっしは目先(国内)しか見なかったので全くしりませんでした(´ω`)
好景気であれば、それを崩したくないのは政治家の道理でしょうから、朝鮮半島の緊張でも
戦争しようとは考えないでしょうね。逆言えば不景気になったらやばくなるということでしょうか。

>私は世界軍事ランキングなんてあまり信用していませんが

 数でえば、北朝鮮軍はトップ5に入りますね。
実際はバランス取れてるのが大事なんでしょうが、アヘン戦争頃の軍事といえば、
大清帝国は世界最大の軍事力を誇っていましたね。イギリスに負けたのは海軍力のとてつもない差ですが、
今の中国も海軍力といえばあまり海軍力は強いとはいえないから空母なり作ってるんでしょうか。
軍隊はバランスが大事ですが、日本にとってこれほど迷惑な話はないですね(´ω`)

 

追加

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月18日(木)17時17分18秒
返信・引用
  説明不足でしたので追加します。株価とは業績がよくなり株をたくさん買ってくれるから上がるわけですが、突き詰めていけば人気新商品をどんどんだし、お客様が買ってくれるから業績が良くなるわけです。つまり全体的にみれば文明が進歩したり生活が豊かになると株価は上がります。  

Re: 結果論

 投稿者:САША  投稿日:2018年 1月18日(木)17時06分36秒
返信・引用
  木下筑前守さんへのお返事です。

>こんにちは。おっしゃるとおり結果よければすべてよしと言われます。
それでは結果をだすにはどのようにすればよいか?スポーツや勉強など努力や素質が影響する結果とは違う意味でです。
それはいろんなシナリオを考え、状況判断したり対応力をレベルアップすれば結果をだせると思います。
私は将棋を少し指します。将棋とは努力や素質で強くなれますが極論をいえば状況判断能力や判断力が優れているほうが有利になります。しかし弱い人でも運で有利になったり勝ったりします。それは短期的であったり一時的なもので長い目でみると
状況判断能力や対応力が優れているほうが強いです。
今、米景気は空前の好景気です。日本も日経平均最高値には及ばないものの株式数と株価をかけた総額では同じようなレベルです。バブルの頃の最高値は明らかに過剰反応でした。株価とは文明が進歩したり生活が豊かになって上がるものです。バブルの頃と今とでは情報通信分野とそれに影響され全体的な産業が少し良くなっただけと思います。株価が永久に上がり続けるなんてことはありません。いつかは不景気になります。アメリカは不景気になれば戦争するパターンが多いです。ベトナム戦争以外、最近の戦争はすべて共和党がしたものです。日本は独立国なんですから米国よりにならなくてもどっちつかずの八方美人外交でよかったはずです。琉球王国なんてたいした武力も持たず薩摩に侵略されるまで数百年もおもてなしと八方美人外交で持った国です。私は世界軍事ランキングなんてあまり信用していませんが私見では日本の軍事力はTOP10に入ると思います。大東亜共栄圏で他国に協力してもたいして感謝してもらえず不満を言っている国さえあります。災害があったとき、お付き合い程度で派遣すればいいだけだと思うんですよね。あまり特定の国だけとべったりにならずほどほどにお付き合いすればいいと思います。
今回の安保が三国同盟の二の舞にならないことを願っております。
>
 

結果論

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月14日(日)19時01分53秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

長期出張でレスできずすみません

>歴史には重要な判断をする時期があり反省するところもいろいろとあると思います

人間なのでミスすることもあるのですが、間違った選択を行い
「間違えた。ごめんなさい。てへぺろ」
なんてできないのが政治の辛さだと思います。
戦国時代の話ですが、小早川隆景が黒田孝高(官兵衛)に言った言葉で
「お主は頭がいいから即断で決める。だからあとで後悔することも多いだろう。
 わしは頭がよくないからじっくりとみんなで考えて決断する。だから後悔することは少ない」
実際にはどっちがいいかはわからないですが、ただ1つ言えるのは結果がどうなったかということですかね。
数年前にヨーロッパから日本(成田)に飛び立った便で、ロシア上空でエンジンの片方が動かなくなって
機長は成田まで飛ばせると判断して成田まで飛ばして着陸させた事件がありましたが、評論家の弁としては
「結果論となるが、事故がなくフライトできたので機長の判断は正しかったといえる」
物事の良しあしなんて結果でしか語れないのですね(´ω`)
 

安保

 投稿者:САША  投稿日:2017年12月26日(火)23時55分23秒
返信・引用
  こんばんは。おっしゃるとおり歴史には重要な判断をする時期があり反省するところもいろいろとあると思います。そのときどきで独断で判断をしたのではなくいろいろな状況からいろいろとアドバイスをうけ判断したため昭和天皇がおっしゃったように戦争に巻き込まれたのだと思います。ただし今回の安保は共和党日本支部の清和会の親玉が勝手に決断したことです。なぜばらば民主党のオバマ大統領のときに強引に決めたからです。  

和平工作

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2017年12月25日(月)21時36分55秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>終戦直後は都会の一般庶民は食べ物に困り、田舎では困らなかったというのが事実でしょうね。

 うちの婆さんの証言ですと
米はほとんどが軍にとられた。だから米はめったに食えなかった。麦を食すしかないが、腹持ちが悪く
茶碗5杯ぐらい食ってた。
と言ってました。逆にいえば腹いっぱいは食ってたということでしょうね。
地域によっては米のごはんが食えたところもあったようですね。
戦後の話ですが、私の父がジャガイモが大っ嫌いで、理由は「子供の頃にいやというほど食わされた」からだとか。
農家は食い物はありますが、好き嫌いはできないということです(´ω`)

>大東亜戦争の前に日本が三国同盟に参加しなかった場合

 日本が三国同盟に参加した理由は、日中戦争を有利にするためですが、だったらトラウトマン和平工作の時に
和平しとけって思うんですよね(´ω`)
トラウトマン工作で蹴った理由は工作中に南京を落としたことで日本が調子にのったからですが、
対外戦でボロ負けを経験していなかった以上、仕方がなかったのでしょうが、
歴史を見ても、トラウトマン和平工作が唯一現実的に日中戦争を終わらせることができた和平交渉だったと
思うんですよね。
三国同盟よりもこっちのターニングポイントのほうがでかいと思います。
ともあれ、三国同盟を結んで、この時点でフランスが降伏してたので、中華民国の補給ルート遮断で仏印進駐。
軍事的には正しいんですが、政治的には最悪の選択でしたね。この進駐でもう引き返せなくなってしまったんですからね(´ω`)

>イラク戦争のように大量破壊兵器があると言い掛かりをつけられ

 イラク可哀そう(´;ω;`)
当事者はたまらんと思います。
 

平和

 投稿者:САША  投稿日:2017年12月25日(月)12時38分47秒
返信・引用
  こんにちは。おっしゃるとおり幼年学校は全寮制ということが調べてわかりました。私が叔母から聞いた話では陸軍士官学校に行っていた叔父がおり東京の親戚から祖父に叔父が死んだという連絡がありやせ細っていたそうです。私が親戚の家から通っていたという勘違いしていたのかもしれませんね。申し訳ありません。考えてみれば士官学校からの連絡ではなく親戚からの連絡ということは病気で辞めていたのか?どういう状況だったのか、父、叔母三人もなくなっているためわかりません。
いろいろな人から聞いた話しによると終戦直後は都会の一般庶民は食べ物に困り、田舎では困らなかったというのが事実でしょうね。私は反戦派なので二度とこのようなことを繰り返してはならないと思います。歴史にもしも?はタブーですがそれは想像がエスカレートした場合であって反省するために検証するのは大いにありだと思います。大東亜戦争の前に日本が三国同盟に参加しなかった場合ドイツ、イタリアを滅ぼした後、日本が無抵抗主義を貫いていれば袋叩きにあっていた可能性があります。ベトナム戦争のように敵国のアメリカの世論を味方につけて追い出すパターンもあればイラク戦争のように大量破壊兵器があると言い掛かりをつけられ、たいした償いもしないというパターンもあります。少し前の安保って明らかに米国よりだと思います。三国同盟は仕方がなかったと個人的には思いますが安保は米国よりにならなくても全世界の国々と仲良くし八方美人外交をしてもよかったと感じます。もう取り返しがつきませんが平和が続くことを願っております。
 

平和

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2017年12月25日(月)00時44分21秒
返信・引用
  САШАさん、こんばんは

>終戦直後の9月に死亡の連絡を受け祖父が行きましたが叔父はやせ細っていたそうです。

 士官学校生徒は全寮制なので、通いということは教官か事務員だったと思うのですが、
軍人・軍属には最優先で食料を配給していたと思うのに、餓死ということは庶民はさらに辛い生活だったのでしょうね。

>私の父も終戦まもなくの冬の大阪で寒いなか長い間ならばされてお湯のような雑炊を食べたと文句を言っていました

 漫画のはだしのゲンで、雑炊食堂で「やった!今日の雑炊は箸が立つぞ!」と喜んでいる大人が出てきますが、
こんな状態で戦っていたのかと思うと、先人の苦労が偲ばれます(´ω`)

>超高度大気圏核爆発はライフラインを遮断するため怖いですね!

 停電しただけでも国家活動がマヒしますからね。怖いですね(´ω`)

>なんでもあるところにはいろいろあるみたいですね!

 物資がなくても金があればなんとかなるのはいつの時代でも同じですが、
うちの田舎でも買い出しに来た人は多かったとか。いわゆるヤミ米ですが、買わないと文字通り餓死という
大変な世の中だったそうです。
今の平和というのはこういう先人の文字通りの命がけの苦労なくして成り立たなかったんでしょうね。
 

忘年会

 投稿者:САША  投稿日:2017年12月24日(日)23時12分37秒
返信・引用
  昨日私が幹事を務める政治家の会の忘年会に参加しました。その会の会長は関大名誉教授でその方の父は戦犯とも交流があったそうです。戦犯の人々は巣鴨で健康的な食生活を送っていたため戦中より元気になったそうです。会長が都会の人は食べ物に苦労していたというのになんて贅沢をしていたのだとおっしゃっていました。なんでもあるところにはいろいろあるみたいですね!  

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