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籠城

 投稿者:木下筑前守  投稿日:2018年 1月27日(土)12時34分44秒
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  САШАさん、こんばんは

>兵糧攻めにあえば悲惨ですよね

籠城は後詰(援軍)がくるのが前提で行われますから、何か月かもてばいいという感じだったと思います。
時代が進むと戦争の規模も兵士数も大規模になったため、後詰がこなくても攻城側の兵站の消耗を
待つという手段で籠城が行われたようですね。
小田原征伐の豊臣軍、大坂戦役の徳川軍は共に20万人ほど動員したそうですが、
仮に兵士1人の消耗食料が1kgとしたら1日に200tの補給物資が必要です。
戦国時代には大八車などの車はなかったそうですので、
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/4740/1/02%20%20%E9%88%B4%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%B8%89%E3%80%80%E5%B7%BB%E4%B9%8B%E5%85%AD.pdf
の35ページの一番左参照
馬なり人に背負わせて運ぶ必要がありますが、馬だと100kg、人間だと30kg程度が背負える限度でしょうから
馬だけでも1日2000頭到着させないといけないという計算ですね。移動中の馬は含まれませんし、
馬自体も食料(水は当時は供給源は各地に大量にあったので除外)がいるので、相当な規模での
兵站線を確保しないといけなかったのは想像に難くありません。
対峙した北条家も豊臣家もそんな兵站を確保できるわけがないと思ってたのかもしれないですね。

>熊本城は食べれるそうですね

 という伝承がありますが、実際はどうだったのでしょうか。西南戦争時に熊本鎮台の兵士が
加藤清正時代からあった「ひじき」を食したという記録はあります。
畳は芋茎で編まれて、土壁にはかんぴょうが塗り込まれていたとされていますが、実際にはどうだったのでしょうか。
かんぴょうはともかく、芋茎の畳は梅雨時の湿気で腐ってしまいそうな気がするのですが・・・。
実際に役立ったのは井戸の多さで、天守閣にも井戸があります。これは清正が蔚山城で水不足に
悩まされた戦訓から熊本城内に120もの井戸を掘ったそうです。
食べ物は1日なしでも我慢できても水はそうはいかないため籠城する側としてはありがたい点かと思います。

>昔の大阪城は昔ながらの内部だったのですが今は博物館のようになっています。

 熊本城もそんな感じです。
ただし、宇土櫓だけは建造時のまま残っているため中身も昔のままです。
 
 
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