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地域の暮らしとOT

 投稿者:奥田真由美  投稿日:2004年 8月12日(木)00時37分40秒
  中村川さんへ
訪問って本当に相手のフィールドの中で働く場ですね。訓練室では効果がありそうに見える治療体操系のアプローチも、現実世界の中では色あせてしまうのかもしれません。また、訓練室は仮想現実の場ですが、実地は訓練がそのまま現実体験です。そういう意味ではOTとの会話がリアリティを帯びるとすればその対象者が求めているものは自分の存在の社会的承認なのでしょうか?
先に書いた在宅生活は地域の大海の孤島という状況を、私はなんとか打破したいと思っているのです。中村川さんが実感しているように、利用者さんは自分の予後や社会的位置を本質的によく知っていて、傷つくことなく認めてもらえる相手に承認を求めているような気がします。高齢者は、これまで頑張って築いてきたものが多いだけに、「もうええやん。」と思う人もいる気がします。
でもそんな人にも頑張りトリガーポイントがあって、そこに触れたら俄然エンジンがかかったりするので奥が深いですが。私たちOTは、現実に触れる活動をかかわりの媒体に用いることができるのが特徴だから、障害を持って地域で暮らすことに何か変化をもたらしてゆく活動ができないかな〜と川モデルに取り組むようになってもんもんと考えています。一緒に考えてみませんか?
 

作業についてシリーズ

 投稿者:奥田真由美  投稿日:2004年 8月12日(木)00時20分59秒
  noriさんやすきよさん、作業についての議論ありがとうございます。私も川モデルでよく「この図の中にOccupationはどこにあるのよ?」とよく聞かれ、あれこれ頭をひねるところですが、「どこだってええじゃないか!」と思うときもあれば、「水の流れが集中してゆくポイントがOccupationだ。」と思うときもあり様々です。日本人の、というより私が日々接する利用者さんは、実際的な活動や精神的な活動に意義を感じてせっせと行う(行いたいと思っている)人と、とかく目立たず波立たせず無事に今日が平凡にすぎることを願っている人など様々です。そんな人たちには「やりたいこと」をかなえる援助をすることがふさわしいなと思うこともあれば、「やりたいこと」を探すことが苦痛になる人もいます。後者は「人並みだったらいい。」っていう感じで、その「人」は利用者さんが「人」として認識する人、すなわち顔の見える同グループ集団の同じ通所利用者だったり、患者さん同士だったりするように思います。「隣の人くらいに」やれていれば安心するような、そんな雰囲気を感じます。例えばそんな雰囲気のグループのメンバー一人にとても個人的な願いを解決するプランを提案すると、「なんで私だけ?」とかえって引かれたりします。私としたら拍子抜けするようなリアクションです。そんな時集団社会の特性を感じます。これからの高齢者は、厚労省の中村局長が2015年の高齢者像として現したように都市生活者でサラリーマンOB・OGが増えるならばそんな人は減っていくのでしょうが、現実の日々接する人はそこに至っていないのが現状です。いま巷には、作業療法・理学療法・言語聴覚療法その他様々な療法があふれ返り、利用者の必要性に応じてそれぞれをつむぎ合わせて活用できる方向に進もうとしています。たとえばその中で作業療法は、対象者さんは前者のなにか「やりたいこと」があれば活気付くタイプの人に向いた療法として選択肢の一つになるという特化のしかたもあるかもしれません。そういう人には「Occupation」が真中にある理論はいいんじゃないかとも思います。でも現実私の目の前にくる人は、前述のとおり様々なので、「どこから攻めようかな?」と探し回る考え方としては川モデルって便利だなと思うわけです。やっぱoccupationを作業と訳すのって、いまいちですよね。でもなんていっていいんだか・・・。本当に昔からある議論ですがそこが基本ですね。
まとまらなくてすみません。
 

(無題)

 投稿者:中村川  投稿日:2004年 8月 8日(日)14時35分24秒
  奥田先生

レスをありがとうございます。

>私も在宅に行きますが、それが座標としては地域の中にあるのですが、
>その存在としては地域の大海に浮いている孤島のように感じることもあります。

そうですね。日本の身体障害者の生活は、そのような実態であると感じます。
しかしこれまでは、そういった地域の状況について
正面から向き合った経験談というのを聴いた事がほとんどありませんでした。
利用者さんと私服で屋外歩行訓練(というより散歩)をしていると、
病院の中では味わえない地域の空気というものに触れられます・・・。

>私は時折、完全治癒を目指す利用者さんの心は、自分の中の障害を攻撃するように
>訓練を求めていると感じることがあります。

そんなストイックな‘訓練道’を突き進んでいる利用者さんいらっしゃいますね。
しかし私の手ごたえでは、お年寄りというのは割と頑張りがきかないものだという
イメージがあります。
むしろ、「直す気あるのかな?」と疑問に感じる事も・・・。
 
 私は最近、利用者さんは、昔で言う所の坊さんや駐在所の人情お回りさんみたいな役割を
求めているのかなと感じる事があります。
変な話、機能訓練よりもお喋りする時間の方が多い方というケースも結構あります。
お喋りを遮ると機嫌を悪くされたり・・・(笑 
この兼ね合いというのが大変難しく、苦心しています。
しかし、不思議な事に、回復期にある利用者さんにはこのような傾向が少ないのです。
案外、利用者さんはご自分でご自分の予後を正確に把握されている事が多いと思います。
で、お喋りの気分転換が必要なら、じゃあヘルパーさんでいいかというと、そうでもないのです。
あくまでリハビリの先生が訪れる事に大きな意味があるのです。
というより、そのような存在を切実に必要とされています。
なぜ切実に必要なのかについては、私自身まだ把握しきれていない所があるのですが、
やはり背後に日本で生活するゆえの問題が隠されているように思えます。

 今より若い頃は、ある年代の人達のそういった思いについて、理解する事も
想像する事も出来ませんでした。
新卒でリハの世界に入った人は皆さんそうだと思いますが
自分より上の世代の人達が、どんな生き方をしてきたのか、どんな価値観でいるのか
解っているようであまりよく理解出来ないはずです。
親子間ですら、ジェネレーションギャップで悩む事が多いくらいですから。

 私は専門学校出身なのですが、もしも学校の授業の中に、こういった日本の地域性や
社会構造に関する考察を深める機会があったら、
利用者さんへの対応ももっと柔軟にはかれただろうと思います。
障害を持った人の心理や老年期の心理変化等、人間個人としての考察は
ある程度授業の中に織り込まれていましたが、歴史や社会学といった広い視野での考察は
自分自身も触れる機会があまりありませんでしたし、今の作業療法全体でもそうであるように
思います。(今の学校ではどうなんでしょうか。)
自分達の社会や地域を知る事なしに、障害者や老人の地域生活は想像できないし、
先の発展も創造できないと感じます。
 
>夢中で戦おうとしているその相手も自分なのだから、少し目先を変えて、
>その岩を持ちつつもできる新しい人生の形を共に創ってゆけないだろうかと
>可能性を探すという感じです。

 大変共感する言葉です。
夢の湖村については、以前学会の講演を聴講させて頂きました。
とても魅力的な実践だと思いました。
あのような場が日本の地域にたくさん出来ればなぁと思います。

>これからも意見交換しましょう。投稿ありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。また来ます。
 

Re:作業は前提?

 投稿者:nori  投稿日:2004年 8月 7日(土)22時31分33秒
  川モデルに興味があり、時折のぞかせてもらっています。興味深いトピックでしたので私の意見も書かせてください。私はワークショップ等参加していませんので、川モデルについて認識違いをしている等があればご指摘ください。

>私は、あたりまえのように作業を中心にすえていることじたいを疑うべきだと思います。

occupationは日本語で「作業」と訳されているためのどうしてもこう言った見解が出てくると思うのです。やはり作業療法士である以上、私達がoccupationやoccupational beingをいかに捕えていくかは、もっとも重要なところでしょう。occupational performance modelもoccupationが中心ではなく、「それぞれのoccupationを持つ対象者」が中心です。occupationも作業というよりは、人生の中における個人の重要事項や役割としたほうがわかりやすいように思います。したがって中心点はどちらのモデルも相違ないと思うのです。

>作業を中心にしたモデルがOTに適しているという考えは、本当に必要な考えなのでしょうか?

モデルがもともとあって、それがOTに適しているかどうか、ではなく、私達の職業信念がいかなるものか、それがどのように日ごろの臨床で反映されているかがOTによって研究、見なおしされ、こう言ったOTモデルが形になってきたのだと思います。OTに適しているかというよりは、これらが日本の文化、社会にいかに適応していけるかの議論かもしれません。一方でICFなどは、「OT」に適したモデルかどうかの議論はできるでしょう。

川モデルは、日本人(アジア人)特有の意思決定、人生の過ごし方(価値観とでも言うのでしょうか)についてより深く考察していると思います。

奥田さんの、
「何でもいいからこの川を活気づかせる方法はないのかな?」という視点で様々な関係性を見ていただくように使ってもらえたらいいのではないかと思います。

という点、いかにも日本的で面白いと思います。西洋のモデルは概念の大枠と定義から本質を把握しようとするのに対し、日本人は実際の方法(や流れ?)から本質をつかんでいくようにも思います。




 

中村川さんへ

 投稿者:奥田真由美  投稿日:2004年 8月 3日(火)02時16分57秒
  訪問リハを主としたお仕事の中でのご意見ありがとうございます。施設内はOTにとって自然と自分有利に作用する安心感がありますが、訪問は相手の土俵の中での勝負ですから本当に様々な問いに直面されているのでしょうね。私も在宅に行きますが、それが座標としては地域の中にあるのですが、その存在としては地域の大海に浮いている孤島のように感じることもあります。私は時折、完全治癒を目指す利用者さんの心は、自分の中の障害を攻撃するように訓練を求めていると感じることがあります。無論それを否定することはできませんが、むやみに加担することもつらくなります。川モデルで考えるとき、その障害を共につれて、人生の営みをもう一度送ってみませんか?と誘いたくなります。それは治療のこだわりを捨てて楽しもう、というより、夢中で戦おうとしているその相手も自分なのだから、少し目先を変えて、その岩を持ちつつもできる新しい人生の形を共に創ってゆけないだろうかと可能性を探すという感じです。口で言うのはたやすいですが、それを実行することは困難だと私も日々の臨床で感じています。しかし、そのメッセージを持つことに共感してくださる利用者さんも少なくないです。私は川モデルの実践例として、勝手に藤原茂先生の行われている「夢の湖村」のデイサービスにあこがれています。大勢の片麻痺を持つ利用者さんたちが、体と心を動かし、新しい活動にチャレンジしている雰囲気は私たちにも大いに勇気をくれます。地域に浮かぶ孤島と孤島が自然とリンクして、島国になっていく感じです。訪問リハで出会う利用者さんを、療法士をきっかけに同じ苦しみを持つ他の方にリンクできたら、その利用者さんの「川」の側壁の質が変わってゆくかもしれません。川モデルは、医学モデルや社会福祉モデルなど特定の方向からのアプローチを示唆するより、「何でもいいからこの川を活気づかせる方法はないのかな?」という視点で様々な関係性を見ていただくように使ってもらえたらいいのではないかと思います。これからも意見交換しましょう。投稿ありがとうございました。  

地域社会と人生の川

 投稿者:中村川  投稿日:2004年 8月 1日(日)14時53分54秒
    始めまして。
川モデル、という言葉、恥ずかしながら最近になって初めて知りました。
人の人生を川に例える理論に、大変共感させて頂きました。
手元に資料が少なく、HPのみでの解釈となってしまいますがご了承下さい。
 私は訪問リハに従事しております。仕事の場は対象者の生活の場であり、
包括的な視点というのが比較的し易い環境にいます。
訪問リハの受容は思いのほか高く、人手不足に悩むステーションも多いと
聞きます。
 さて、訪問リハを受ける利用者さんのご希望ですが、端的に言って
ほとんどの方が‘完全治癒’を願っておいでです。
私達は、多くのケースで完全治癒が不可能である事を経験的に知っています。
言葉には上らなくとも、利用者さんも多くの場合その事を漠然と気付いて
おられるようです。
そのような対象者の方に、治癒にこだわらずに人生を楽しみましょうと
いう提案は無意味であると最近はつくづく感じます。
病院とは違い、一対一での対象者の城の中での作業療法では、
自分の仕事がサービス業である事を実感します。
訪問リハを依頼される利用者さんは、リハスタッフに価値観の変容の手助け
など求めていません。
要求される事は‘完全治癒に向けたリハビリ’これです・・・。

 目標思考的ADLアプローチ、COPM、と来て、ここのところ再び私は
医療モデルに戻りつつありました。
リハビリは、日本社会の地域性、日本人のジェンダー(特に男性障害者)
に対し、あまりにも弱いのではないかと感じます。

私達の給料の7〜9割がが国民の税金から出ている事を考える以上、
私達に求められている事はなんなのだろうと考え込んでしまう毎日ですが、
川モデルのような考え方が、今後の利用者向けサービスに良い方向性をもたらすと
いう印象は強く予感します。
 私はこの流れの中で、作業療法士がどんな作業療法を提供できるのかについての各論も、
今後更に深めて行ってもらえたら・・と思います。
例えば私は、訪問リハビリスタッフの、流れをよくする‘枝’としての働きに、
‘治癒の可能性の象徴’として‘そこに存在する’という事をあげたいと感じます。
障害を持つ家族を抱えた利用者家庭にとって、リハビリの先生が毎週自宅に訪れる事は、
その人の障害が‘治癒への過程にある’という意味ももたらしている事も多いようです。
これが本当に流れを良くする事になるのかどうかについては意見が割れると思うのですが、
日本での地域生活というのは、そういうアピールを必要とする
社会なのではないか、という感じもします。
これは、白衣を着ていた頃には解らない事でした。
地域で生活する障害を持った方々は、私が想像していた以上に窮屈な思いをしている様子です。

 今後も、川モデルの発展に期待させて頂きます。
ぜひその中で、日本社会という川の流れについての知識や情報も整理し、提供して頂きたいし、
自分もそう努力してゆきたいと思っています。
 

作業は前提?

 投稿者:やすきよ  投稿日:2004年 7月14日(水)18時58分10秒
  はじめまして。
川モデルワークショップに参加しました。
齋藤さんやボンジェさんは、作業を中心にすえることを疑うことなく、OTの専門性にかかわる問題として考えているから、作業を中心にしていない川モデルに違和感があるんじゃないでしょうか?
私は、あたりまえのように作業を中心にすえていることじたいを疑うべきだと思います。そうすると見えてくるのは、川モデルは作業遂行を説明するモデルではないということですし、作業遂行を説明していないからといってモデルとして劣るというわけではないということです。
意識的ではないにせよ、作業を中心にしたモデルが優れたモデルという考えがお二人にはあるんだと思います。作業を中心にしたモデルがOTに適しているという考えは、本当に必要な考えなのでしょうか?一昔前は、みんな必死になって医学モデルが正しいと考えて取り組んできました。今は作業モデルに移行しているだけで、優劣はないし、川モデルが作業を中心に考えていく必要性も、必然性もないと思います。
 

僕もワークショップ参加しました 

 投稿者:ボンジェ ペイター  投稿日:2004年 7月14日(水)15時13分1秒
  斎藤さんの意見をよくわかります。そのことは、私も感じられました。が、川モデルは、現在の日本のOTの状態を表現するモデルとして受け取ることが間違いないと思います。まあ、他の職種も、患者さんの人生を支えるのを主張しますね。岡山県を含む日本のOTはアイデンティティー・独自性の問題と繋いでいるでしょう。
障害者の人生を把握するために、川モデルは立派なと思います。(2年前、試験の時に1つの問題は、障害者の話の分析だった。学生にICFまたは川モデルを自由に選択させた。38/40人が川モデルを選んだ。)川モデルを採用したら、OTの改善には、大切になると思います。当事者の人生を把握しないと適当なOT(主体的生活を獲得をはかる援助)を提供できないでしょうね。川モデルは、その貢献があるね。
将来に、もっとoccupationを中心する川モデル改善版またはmore likely新Xモデルが必要だと私も思います。でも、独自性を確保したり、OTを認めたりされるのに、モデル・理論などよりも、OTの業績は一番大切ですね。
このように考えたらいかがでしょう?
 

川モデルと実習

 投稿者:ボンジェ ペイター  投稿日:2004年 7月14日(水)14時15分50秒
  内の大学(藍野大学)には、後期にOT評価総論という科目があります。私がその科目の担当になります。評価総論なので、様々な評価方法の概念・目的・行い方などを勉強したりして、そして、面接・観察・検査などを実習したりするよてい。ICFもちろん、川モデルも導入したいと思います。以前勤めた専門学校の一年生は、川モデルがすぐ理解できたが、その時に、ビデオで障害者の体験を見たり・聞いたりできた。一方、今度は、学生さんが面接もやらせたい(挑戦)。できれば、見学実習の施設の利用者、ボランティアまたは学生の知り合いを面接させるのを考えているが、学生に例として聞いたらいい質問を教えたい。障害者・クライエントの人生を表す川をその方(家族を含んでもOK)と一緒に書くことは、誰か経験を持っていますか?その経験を教えてください。特に、有効・無効な質問・発言をききたい。面接すすみやすい因子も知りたい(1年生なので、コミュニケーション能力が低い学生がかなりあるので)。では、宜しくお願いします。ボンジェ・ペイター  

長野学会WSを終えて

 投稿者:奥田真由美  投稿日:2004年 6月30日(水)06時57分19秒
  斎藤さん早速のご感想ありがとうございます。最近私も川モデルは、私の動機発表にあったように、医学モデル先行のがちがちの臨床現場の抑圧から逃れ出るように出来た部分があることを意識するようになってきました。しかし、確かに還元主義的にみることは、OTとしては主流ではなくなってきてはいますが、まだ臨床現場全体をみれば以前根強く残っています。そのような中で、OTアプローチとして見逃してはならないものを確認する為の手段のひとつとして、川のイメージを人生に重ねることを使っています。これがOTモデルと呼ぶのが妥当かどうかについては、私も今後じっくり考えたいと思っているところです。
現在のスタイルについては、それにこだわっているというより私たちはスローペースで物事をすすめるので、変化が遅いだけだと思います。もっと多角的な視点で見直してゆきたいと思います。
私にとっての川モデルは、参与型学習といった感じで、普段臨床では技術先行になりがちなので、こうやって理論的なものに自分たちなりにかかわりつつ、体感的に理解してゆく機会となっています。モデルとは何?クライアント中心とはどういうこと?という問いを、頭で考えるのみではなく体全体で捉えたいと思います。研究スタイルとしてはスマートじゃありませんが、実践例を重ねてもっと改善したいと思っています。またぜひご意見ください。
 

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