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実在と存在

 投稿者:やすきよ  投稿日:2004年 8月23日(月)22時24分36秒
  おそくなりやした.

私は,文化の実在は否定しますが,存在は認めます.
前回,文化は「人々に根ざす」と書きましたが,もっと言ってしまえば,文化は観念です.特定の観念と観念が複数の人々とと共有されれば,そこに文化は存在することになります.そのときに,日本の文化がどこかに転がっていて,それを認識していると考えると,文化が実在しているということになります.前者がフッサール現象学で,後者がカント認識論とでもいえるでしょうか.

文化が実在すると考えると,正しい文化の認識というものが必然的に求められます.でないと,文化が実在すること自体,誰も証明できなくなるからです.で,正しい文化の認識をすることを誰ができるのか?と考えると,結局,完璧な認識を備えた超人を想定しないといけなくなります.これは,そのまま誰が正しい認識者かという話になり,結局,クライエント(作業療法士,その他誰でもいい)はわかっていないってなことになります.形式論的には,同じ構造です.

藤本さんは,文化は実在しないって考えと,文化は存在であるという考えの中間地点にいらっしゃると感じますが,いかがでしょうか?
 

文化論

 投稿者:藤本浩子  投稿日:2004年 8月20日(金)16時05分52秒
  文化は実在するか否か…興味深い議論です。
そういう(「文化が実在しない」)考え方があるのだ、と改めて考えさせられました。
現在の欧米の作業療法では、文化が存在するという考えが前提になっていると思います。作業療法における「文化の重要性」は、議論の余地がないとさえ思われます。

私自身は、その「文化」の捉え方に差があると感じています。表面的な文化(例えば言葉、食、しきたり、服装、伝統など)だけを意識して「文化が重要」と述べているものから、より深く、複雑に絡み合った文化を指しているものもあると考えています。

私は、やすきよさんのお言葉を拝借するのであれば、文化は「人々に根ざす」ものだと捉えています。人が2人以上集まれば、もうそこには文化が生まれるのではないでしょうか。そして、一人の人間は複数の文化を持っており、単一の純粋培養された文化を持つ人なんていないと考えています。「日本人は○○」という表現を、私も含めてよくしますが、それは「すべての日本人が○○」という意味ではなく、日本人という大きな集団になった場合の1つの傾向だと思います。同様に、女子校の文化、野球部に所属している人の文化、アジア人の文化、日系カナダ人の文化、障害を持つ人の文化、HIVエイズに感染している人の文化、職場の文化…などなどなど、いろんな文化があると思います。私たちはいろんな文化を持ち合わせ、いろんな文化を持った人や環境からの影響を受けながら、自分を形成しているのだと思っています。

そこで話を戻しますと、表面的な文化だけを捉えて作業療法を行うと、それこそ「日本人は○○」だから、「○○療法が良い」などという極端な考え方が生まれてきそうです。それは、その人の「文化」を無視した作業療法だと思うのです。

カナダに戻ってくる飛行機の中で隣に中近東系の男性が坐っておられました。その方は何かのツアーに複数の方と入っていたようなのですが、食事の時間になるとスチュワーデスがベジタリアンの食事を運んできました。男性は注文した覚えはない、と言っていましたが、ツアー会社が勝手に注文したようです。「○○国の人は、○○宗教に所属していて、ベジタリアン」などという思いこみがあったのでしょう。失礼な話です。文化が実在する、と考え、単純思考になると、人間一人一人を無視してしまうことになりかねないと思います。それは一歩間違えるとすごく怖いことです。

ですから、そのようなことに陥らないために、私は、文化は重要であると考えていますが、これは、やすきよさんの「文化は実在しない」という考えと似ているのかもしれません。どうでしょうか…。「そこで生活する人間とは関係なく,独立して文化が在る」とは思いません。文化は人がいるから生まれ、常に変動していくものだと思っています。

長くなりました。

あっそれから、研究職も臨床職も、本当にいろいろと大変だと思います。どっちが大変だ、なんて言えないし、人によって捉え方も感じ方も違うし…学生が一番気楽かもしれません(^_^;。(でも学生は学生なりに、これまた大変なんですぅ…)

藤本
 

(無題)

 投稿者:土方  投稿日:2004年 8月19日(木)22時20分43秒
   連投失礼します。
こういうものを見つけました。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj5057/sub89.sengominshushugi.htm

問題はブンカではなく、おいらの無知  かもしれん。
 

(無題)

 投稿者:土方  投稿日:2004年 8月18日(水)12時07分25秒
   やすきよ先生、難し過ぎて何言ってんだかわかんね(笑

一応、ブンカについてGOOの辞書で調べてみました。 

(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
(3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。
(4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。
「―鍋」

 今ここで取り上げられている文化というのは(1)もしくは(2)に該当するでしょうかね。
自分がブンカブンカと言っていたモノですが、もっと曖昧に
日本人全体が持っている死生観とか人生の価値観みたいなものをさして考えとります。
もちろん全ての人が一つの価値観に納まるというものではないと思いますが、
社会全体の流れの中で、世代ごとの典型的な思考パターンというのはあるんじゃないかな。

 では、何と相対しての文化なのかというと、リハの授業でやっとった外国の心理学者の
発達理論や障害受容のプロセスです。
少し前までリハの目的として主流だった‘自立’という発想も、
作業療法や理学療法が海外から輸入されたゆえの価値観という感じがします。
日本の家父長制からの流れを考えると、‘自立’を前提とした介護というのは
介護者の世間体を悪くする事もあるかと思います。今でも。
また、被介護者本人が自立を全く望んでいないパターンも見受けられます。
その方が思い描いていた理想的な老後の姿というのが、自立という形ではなかったという事も
考えられます。

 最近は核家族も増えましたから、また状況が違ってきていますが
戦前の家族のあり方やその価値観が全て消滅したわけではないでしょう。
生活様式の変化にも時代から時代に流れる文脈があるはずで、過去・現在・未来を切り離して
考える事はできないはず。
(こういった生活様式の変化の流れが解り易く川モデルで表現出来たらいいのにと思います。)

 で、>私達の存在とは関係なくブンカがある
ですが、文化ってそもそも人間関係の中から生じるものなんじゃないんでしょうか・・・?。
よく解んないっす。

やすきよ先生は、‘文化がある’と前提する事に、どんな危惧を感じてらっさるんでしょうか?
 

ああ・・・。

 投稿者:奥田真由美  投稿日:2004年 8月17日(火)23時43分15秒
  さっきから1時間くらいかけてめちゃめちゃいろいろ書いたのに、操作ミスで消しました。
返してくれ。今日は勉強会を主催してかなり疲労しているので寝ます。皆さんの議論に加わりたくて書いたのに。どうやったらかえってくるんだろう。
 

また後ほど

 投稿者:藤本浩子  投稿日:2004年 8月17日(火)15時05分18秒
  いろいろなご意見ありがとうございます。
今、関空です。もうちょっとでカナダに向けて出発です。
またカナダに戻ったら書き込みさせていただきます。

藤本
 

あるある文化観

 投稿者:やすきよ  投稿日:2004年 8月17日(火)00時54分29秒
  土方さん

「文化が実在する」と考えるということは,詳しく言うと,そこで生活する人間とは関係なく,独立して文化が在ると考えることになります.現代思想的には,「実在」という言葉は,文化の外部実在性って考えになります.実在ということをさらに言えば,私や土方さんとは関係なく日本文化は在るのか?在ると考えれば,どこにあるのか?なんていう,きっと土方さんが大嫌いな言葉遊びになります.

文化が実在しないってことは,文化を創るのはそこに住む人間ってことになります.日本文化の曖昧さは,「曖昧な文化」が私たちの存在とは関係なく実在するわけではなくて,私たちの日々の営みから作り出されるものです.また,「曖昧な文化」という表現も,相対的なものですから,そこには外国の文化との対比ということが行われていると思います.でも,本当に外国との対比から相対的な表現が可能なのか?外国ってのは何を指すのか?ってことをしっかり考えないと,文化文化って言っていても,何のことかさっぱりわからんってことになります.

文化が在る→私たちの存在とは関係なく文化が実在する

本当にそうなんでしょうか?
 

臨床家と研究者

 投稿者:やすきよ  投稿日:2004年 8月17日(火)00時42分13秒
  土方さん,藤本さん

けんか腰に返信して申し訳ございませんでした.
ちなみに,私は研究者です.
研究者も人間関係に振り回されて,学閥に拘束されて,しょうもない会議で時間がつぶれて,臨床家からは役に立たない研究といわれ,所詮はリーマンですよ.

でもご理解いただきたいのは,研究ってのは,結局将来に向けて取り組むわけで,結果が出るのは,何年も先ってことです.しかも,結果が出るかどうかもわかりません.
今困っているから研究でどうのこうのは,ハッキリ言って期待できないです.それに,はじめから答えが予測できることに,貴重な研究費と時間をつぎ込むことはできません.
この辺の認識のずれが,臨床家と研究者の溝になっていると感じています.

それと,私は研究者ですが,やはり学閥ってものがありますので,名前を公開するMLには参加できません.申し訳ございません.
 

(無題)

 投稿者:土方  投稿日:2004年 8月16日(月)23時38分32秒
  それからやすきよ先生に、補足。

 文化があるか無いかについて。
自分は、「在る」に一票ですね。
‘文化’とは何かという捕らえ方にもよるだろうが、
あるね。絶対にある。
だから戦争が起きる。

 少し前の藤本先生の書き込みにもあった、日本文化の曖昧さ。
この曖昧さこそ日本人の文化じゃないかな。
戦後の日本人を‘12歳の少年’などと馬鹿にしたマッカーサーは、
日本人の底の知れない吸収力を見くびっていたと思うなぁ。
天皇陛下万歳から一転してマッカーサー万歳と言えてしまう
日本人の節操のなさは、「少年」なんていう馬鹿にしたものじゃなく
日本的な意味での「大人の態度」だったんだと思う。

その結果、半世紀も経たないうちにアメリカには日本車ばっかり走ようになったというわけ。
 

(無題)

 投稿者:土方  投稿日:2004年 8月16日(月)23時15分46秒
  やすきよ殿

 臨床の実態は、毎日が時間と体力との闘いだよ。
それぞれがもっと突っ込んだ知識なり技術を身に付けたいと思いつつ、
つまらない人間関係に気を遣い、先輩の目を気にし、記録に追われ、件数に追われ・・・
作業療法の発展に具体的に寄与するところまで手が回らないだろうね。
むしろ、一生懸命保険点数稼いでるだけの土方仕事の臨床家が
今後の作業療法士の活躍の場を確保していっているとも言えるんじゃないか。
所詮うちらはサラリーマンでっせ。

内容の良し悪しが需要に結びつくとは解っていても、内容についての
突っ込んだ研究が出来ないという所に現場のジレンマがあるわけで。
すでに出来上がった理論や生まれつつあるノウハウには飛びつきますね。
というわけで、自分も日々野良犬のようにおいしい話を探し回ってたわけ。
ほんと、こういう状況にあっては、研究職の先生方に期待する所大ですよ。

 というお返事を書こうとしたら、藤本先生からご意見が。
喧嘩腰の土方の書き込みに共感して頂けたとは!

>使う人が発展させていくものだと思っています。いろんな臨床家や研究者がそれぞれに>利用したり研究したりし、それを互いにフィードバックしていくことで発展していくと>考えています。

 なるほど。この川モデルというのは、
ぼんやりと漂っていた、経験とか勘というつかみ所の無いものに
形を与える器というわけですね?
よく解りました。
という事は、その器にナニをどう盛り付けるかは現場のセラピスト次第、
つまるところ自分次第か。

・・・いやはやどうも。
そう都合よくジレンマが解決する手段なんかありゃしないか。
しかし、いろんな川の流れを見てみたいですね。
自分のつたない経験で、どんなモデルが描けるかな。
ちょっと面白くなってきやした。

お返事ありがとう御座いました。



 

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